組合長ごあいさつ

「和合森林組合」は長野県下で最も早く設立された森林組合で、昭和23年12月その産声をあげました。そして時代は各自治体に複数の組合を抱える昭和30年代に。それは、県下に173もの組合を見る植林・人工造林最盛の時でした。その後時代は昭和から平成へと大きくまた目まぐるしく変化する時となり、この激動の社会にあって、相次ぐ自治体の統合・合併に呼応して県下の森林組合も次々と解散、統合・合併を経て現在の姿を整えるに至りました。
こうした幾多の時代の変遷の中に「和合森林組合」は一貫して独立の経営を維持し今日に至ります。そして、県下では最も小規模(組合員数約200名、組合員所有森林面積約5,000㎡)な組合です。
効率的で高度な経営への転換をとか、スケールメリットの追求等、合併への研究や論議も激しく交わされましたが、なぜこの組合は今日の独立・自立の途を選択して来たのかと云えば、それはただ一つ、「和合」の山林所有者、そして地域住民一人ひとりが如何に山を愛し、山との共存の歴史を刻んで来たかの証しがここにあります。嘗て「豊村(ゆたかむら)」と云われた時代のあるこの地は、その名のとおり山の恵みに支えられ、山の緑と清流に育まれた”桃源郷”でした。芽吹きの春は豊富な山菜が食卓に新しい季節の到来を告げ、真夏の清流に子らの歓声が溢れる躍動の夏を迎え、更に、棚田に頭を垂れる黄金の実りや松茸など山の恵みに沸く秋に移ろい、そして、奥山の谷間から炭焼きの煙のたなびく冬へと、正に山や森、清流と共にある四季が、村びとの営みの場でした。
一方、戦後の復興そして高度経済成長へ、更には列島改造、そしてバブルの時代へ、そしてまたその崩壊・・と、極めて激しい社会変革の中にこの小さな里山はあっという間に飲み込まれ、今日、往時の姿の片鱗もない限界集落、否「集落消滅」とも云える危機的な状況を迎えているのも現実です。
そうした今日だからこそ、これまでの実績と伝統その歴史を背景に、いよいよ”地域のための組合”を目指すべき時と心を新たにするところです。
この谷の再生のため、その核としての期待に応え得るため、日々努力を重ねる所存です。
どうぞ、この”日本一小さな”「和合森林組合」をご支援願います。


 






 
  和合森林組合   
代表理事 村澤博光